活動報告・ニュース

「ハンセン病療養所入所者とのふれあい体験交流会」(邑久光明園、長島愛生園)に参加して

2012年08月28日

8月9日、10日に岡山県にある国立療養所の邑久光明園、長島愛生園にて、ふれあい体験交流会にスタッフとして参加しました。ふれあい体験交流会は、大阪の看護学生や高校生等が国立療養所の邑久光明園と長島愛生園にて、ハンセン病問題を学ぶ取り組みです。今回は35名の学生が参加し、邑久光明園と長島愛生園に分かれて学びました。

僕は長島愛生園のグループを担当しました。初日、長島愛生園の園長からハンセン病に対する正しい知識を学び、療養所には平均年齢80歳を超えた297人の方が入所している現状(2012年5月1日現在)を聞きました。

続いて学生達は、グループに分かれ、居宅訪問をおこないます。僕が参加したグループは、金泰九さん(86歳)へ居宅訪問しました。

「虎ハ眠ラズ」~在日朝鮮人ハンセン病回復者DVD 2011年制作/30分作品 厚生労働省推薦/文部科学省選定
http://www.flugeizo.com/lineup/kyousei/tora-kimu.html

金泰九さんから

・12歳で日本に来たこと

・陸軍兵器学校から敗戦日をむかえるまで

・ハンセン病の発症、強制隔離、偏見や差別

・家族との別れと天涯孤独

・邑久長島大橋(「人間回復の橋))が建った喜び

学生達は金泰九さんの人生を通して、ハンセン病問題の歴史や偏見や差別の実態を学びました。最後に、若い世代へ伝えたいこととして、「正しく知ること、正しく行動することが大事」と話し、最後に力強く握手して頂きました。

 

 

 

続いて、長島愛生園にある歴史館に見学に行きました。学芸員の田村さんに歴史館内の案内、長島愛生園にある患者収容桟橋、収容所、監獄跡、万霊山納骨堂への献花、希望の鐘等をフィールドワークしました。田村さんは、学生にハンセン病について正しく知って、差別や偏見をなくすこと。そして、今起きている福島差別についてふれ、ハンセン病問題を通じて他の差別や人権問題を学ぶことの大切さを話しました。

長島愛生園歴史館の写真

初日の晩、学生から訪問して感じたこと、思いなどを次のとおり、出し合いました。

・事前学習や親から聞いたイメージより現実の厳しさをしった。元気な姿にこちらが元気をもらった。

・普段暮らしや日常の会話をした。深く聞いていいものか勇気がなかった。

・会話の最後にハンセン病を理由で自殺した弟の話を聞き動揺した。時間をかけて心の中を整理したい。

・自分の中に差別があることを知った。

・看護にかかわる中で、偏見や差別をなくしていきたいと思った。

・これから差別を考える機会を作りたいと思った。

2日目は、全参加者が集まり、全国13の療養所の中で、唯一の高等学校であった新良田教室の講堂で、模擬授業を行いました。同高校の卒業生と教えていた三宅洋介さんから話を聞きました。当時の学校生活、生徒達が立ち入り禁止だった職員室、白衣で授業、卒業しても高校名を名乗れない卒業生、周り人からクレゾール臭いなど言われた体験など話を聞きました。

収容所内のクレゾール浴槽

邑久高校定時制課程新良田教室は、ハンセン病患者を対象として1953年(昭和 28年)の「らい予防法」闘争の結果、全患協(現全療協)の強い要望 により1955年(昭和30年)、全国で唯一長島愛生園に設置された。卒業者は307名、そのうちの7割の方が社会復帰されている。

開 校当時の状 況としては教師は白ずくめの予防着、予防ズボン姿で、生徒は教職員室への出入りが禁止されていた。用事がある時は室外に設置してあるベルを用い教職員は参 考書代金として金銭を受け取ると消毒液に浸し、札は窓ガラスに張って乾かし、答案や作文は消毒箱に入れてから手にするなどの措置がとられていた。

参照「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・岡山」

参加者全員と三宅さんのハーモニカー演奏で、感謝を込めて「ふるさと」を合唱して終わりました。スタッフとして参加して、ふれあい体験交流会に参加した学生達が、これまで関心がなかったハンセン病のニュースに、ふと気づき、関心を持ってくれたらいいなあと思いました。

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