活動報告・ニュース

国立療養所菊池恵楓園入所者自治会を訪問

2011年09月07日

国立療養所菊池恵楓園入所者自治会を訪問し、「差別禁止法」への強い思いを受け止めました。

9月4~5日、共同代表の奥田均、幹事の原田恵子、谷川雅彦、ハンセン病問題を研究している宮前千雅子の4名が、熊本県にある国立療養所菊池恵楓園を訪れて自治会の方々からお話をうかがいました。

(1)はじめに、志村康(やすし)さんを居宅にお尋ねしました。志村さんは熊本地裁で闘われた違憲国家賠償請求訴訟の13人の原告団のお1人です。この訴訟の弁護団代表を務めた徳田靖之弁護士は、鳥取での講演で志村さんのことを次のように語っています。・・・(前略)1998年2月28日に九州弁護士会と九州大学法学部でハンセン病問題に対する国の対応についてのシンポジウムがありました。一通りの発言が終わった後に、志村康さんという方が手を挙げられて「質問がある」と言ったわけです。「自分は実は療養所の中で結婚した。自分は断種を拒否した。妻が妊娠した。何としても生みたかった。必死になって我が子をこの中で生み育てたいということで必死になって動き回ったが、結局許されず妻は堕胎を強制された。その子は女の子で、自分の母がその子にミサオという名前をつけてくれた。自分はいつもその子の位牌を持ち歩いている。自分はこの子のかたきを討ちたいと思っている。しかし自分たちはもう年老いた。お金もない。組織もない。みんな重たい後遺症を負って、身動きすることもままならない。しかし自分は国を相手に、このミサオのかたきを討ちたいということをずっと思ってきた。自分はこのらい予防法は憲法違反だと思うけれど、国を相手に私たちのように金もない、組織もない、年もとっている、身動きもできない、そういう人間が起こすような裁判を手伝ってくれる弁護士はいるだろうか」と。そして司会者が、弁護士と言うことで「徳田さん、答えてください」と回答を促したのです・・・(鳥取市人権情報センター『架橋』10号2004年2月)。こうしてあの違憲国家賠償請求訴訟の闘いが第一歩を踏み出していったのです。その志村さんに私たちの市民運動のことをお伝えし、じっくりとお話をうかがいました。

志村さんは何度も何度も強調されました。「支援とか救済とかも大事だけれど、ストレートに差別禁止法の制定に取り組むべきだ。障害者差別禁止法の制定が見えてきたがこれを武器に、一つ一つの差別問題に関する法律を作っていては先が見えないので、包括的な差別禁止法がいる。」 「黒川温泉での宿泊拒否事件に関して、部落差別を悪用したひどい差別投書をした犯人が捕まったが、彼は公判で「自分はハンセン病元患者や同和地区出身者を差別したが、『違法行為をしていない』」と堂々と語っている。これがこの国の現実だ。」 「ハンセン病問題基本法の制定における議論でも、差別禁止の条文を明確に位置づけるべきであるとの主張を強く展開した。しかし、「内心の自由」などの議論もあり、第3条の基本理念の項目一つにとどまってしまい本当に残念だった。」 「最終目的は差別をなくすこと。そのためには差別禁止法がないといかんと思う。禁止法ができないと、ハンセン病問題の裁判での勝訴が生かされない。もうみんな、目覚めよう。」 「裁判の時もそうだったが、はじめはなかなか広がらない。この取り組みもそうだろう。しかし差別を絶つには法律が必要で、そのためには市民運動を広げていくしかないのですよ。」 「裁判に勝っただけではだめだ。差別禁止法が実現していない今、自分はまだミサオのかたきをとれていないと感じている。」

(2)この後、志村さんとともに、自治会の工藤さん、杉野さん、稲葉さんからもたくさんのお話をうかがいました。
「当事者が差別を受けて訴えたくても、差別を裁く法律がないのですよ。黒川温泉の宿泊拒否事件でも、差別した側がたった2万円を払えばいいではいかんでしょう。でもあのとき、地元市民からの表だった支援はなかったのです。支援に立ち上がると、その人が地域から浮くことが心配だったのではないでしょうか。」「私たちは、この問題でせっかくの『黒川温泉ブランド』に傷が付くのではないかと心配しました。旅館側は廃業に踏み切り、せっかく仕事にありつけた田舎町の地元の人の首をきりました。私たちは、不当解雇抗議の取り組みの応援にかけつけ、カンパもしたのです。」「何が差別か、みんななかなかわかってくれない。人格まで否定するからひどいですよ。」「親しくなってから回復者であることを知ってもらうのではなく、初対面の時に、当たり前のように言えるようにならないといけないと思うのです」

(3)お話をうかがいながら、差別禁止法の制定を本当に一日も早く実現しなければならないという思いが強く強くこみ上げてきました。取り組みはすぐには広がらないだろうけれど、市民運動を広げていくしかないという志村さん言葉を胸に、一歩一歩前へ進めようとの勇気をいただきました。

このページのトップへ