差別の現実と無念の思い

黒川温泉Aホテル宿泊拒否事件(ハンセン病差別)

ハンセン病回復者の宿泊を拒否

2003年9月、熊本県にあるハンセン病療養所「菊池恵楓園」の入所者が、県のふるさと訪問事業の一環として、黒川温泉のAホテルに宿泊を予約しました。ところがホテル側は宿泊日が迫った11月に入って、宿泊予定者にハンセン病の元患者がいることを理由に宿泊拒否を通告してきました。
熊本県はただちに抗議し、知事名での申し入れ書を持参し、東京にあるAホテルの本社にまで出向いて要請しました。しかしホテル側はがんとしてその姿勢を改めませんでした。偏見と悪意に満ちた著しい差別行為です。熊本県知事は、ついに定例の記者会見で事実の公表に踏み切りました。

形ばかりの反省

Aホテルは、事件が全国的に報じられると一転して、総支配人が「菊池恵楓園」を訪れて謝罪します。しかし、療養所入所者でつくられている自治会は、反省が口先だけのものであることを感じ取って受け付けませんでした。
自治会の判断は正しいものでした。ホテル側は12月に入って交代した新社長が、「宿泊拒否は当然」「責任は県にある」「我々は被害者である」と居直ったのです。

4日間の営業停止と2万円の罰金

熊本法務局と県は、ホテルを熊本地検に告発しました。事実は明白であり、その差別性は露骨です。しかしホテル側に適用される法律は「旅館業法」しかありませんでした。その結果、県はホテルを4日間の営業停止処分にできただけです。また熊本地検も社長ら3人と法人を起訴しましたが「略式起訴」によって、法定刑上限の罰金2万円が命じられただけでした。
「差別禁止法」がないなかで、ハンセン病回復者の人びとに対する「差別」が裁かれることはなかったのです。

もって行き場のない無念の思い

1996年に、89年間にわたってハンセン病患者(回復者)の人権を踏みにじってきた「らい予防法」が廃止されました。2001年5月には、これまでの国のハンセン病政策が憲法に違反するものであったことが熊本地裁によって断罪され、2009年4月には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が施行されました。しかしこれによって、差別がなくなったわけではありません。
Aホテルは処分に対する抗議でしょうか、事件翌年の5月にホテルの廃業に踏み切りました。また入所者自治会に対して、市民からは、口に出すこともはばかられるような中傷の電話や手紙、はがきが殺到しました。ハンセン病回復者の無念の思いは続いています。

精神障害者入居差別事件(障害者差別)

精神障害者の入居拒否

契約者あるいは同居人に精神障害者がいる場合には、「何の催告、その他の手続きも要せず、直ちに本契約を解除(終了)し、明渡しを請求することができる」というとんでもない「アパート・マンション賃貸契約書」が堂々と使用されていました。
使用していたのは全国に225拠点を有し、社員5300人を抱える東証一部上場の大手マンション賃貸業者でした。同社は全国で約13万戸を管理し、2002年7月以降の8万戸あまりの契約においてこの差別契約書が使用されていました。

Aさんの不安

差別契約書の発覚は、大阪に住むAさんからの市民相談でした。Aさん夫婦は、妻が電動車いすを使用する身体障害を有しており、Aさん自身も精神障害者保健福祉手帳の交付を受けていました。
2009年1月、それまで20年間住んでいた住宅が老朽化のために解体することになり、転居を余儀なくされました。しかし新たな転居先はなかなか見つからず、立ち退き期限が迫るなかで、ようやくのことでたどり着いたのが問題の物件でした。その際、これまで夫婦の障害のことで苦労を強いられてきたAさんは、念のために「契約書」を丁寧に読んだのです。そして発見したのが、「禁止条項と無催告解除」として記されていた先の項目だったのです。
「自分が精神障害者であることを黙っていてもよいのだろうか。ばれたらどうしよう。しかしこの内容はおかしいのではないか……」。不安に駆られたAさんは地元のコミュニティソーシャルワーカーに相談をしたことにより、ようやくこの問題が発覚したのです。

基本的人権の真っ向からの否定

大阪府と「不動産に関する人権問題連絡会」は、共同で2009年9月に、1万2426の府内全宅建業者を対象に「宅地建物取引業者に関する人権問題実態調査」を実施しました。表1は、この中で宅建業者が家主から入居をことわるようにと言われた割合を示しています。
これによると、22.7%の業者が「障害者についてはことわるように言われた」としており、38.4%の業者が「外国人についてはことわるように言われた」と回答しています。母子(父子)家庭に対しても12.4%の業者が入居拒否の実態があると報告しています。
「衣食住」といわれるほどに、住まいの問題は人間が生きていくうえでの基本中の基本の課題です。その住宅入居において、差別を禁止した法律は存在しておらず、深刻な実態が放置されています。

表1 住宅入居拒否の実態
ある ない 無回答
障害者に対する入居拒否 22.7% 74.0% 3.2%
外国人に対する入居拒否 38.4% 58.0% 3.6%
母子(父子)家庭に対する入居拒否 12.4% 82.4% 5.1%

「部落地名総鑑」差別事件(部落差別)

差別図書「部落地名総鑑」事件の発覚

1975年11月に、後に「部落地名総鑑」と呼ばれる差別図書が、多くの企業に販売されていることが発覚しました。この本は、全国のすべて、あるいは一部地域の被差別部落(同和地区)の地名や所在地を一覧にしたもので、これを見るとある人の現住所や出生地、本籍地などが被差別部落であるかどうかが照合できるという極めて悪質な差別図書です。現物が確認されたものだけで8種類に及び、なかには地区の戸数や主な職業まで記載されているものもありました。こうした図書が、1冊5000円~5万円で販売され、企業を中心に判明した購入者は220を超えています。

住吉結婚差別事件

「部落に生まれた」「部落に住んでいる」「本籍所在地が部落である」「実家が部落である」などの理由により、部落出身者は結婚や就職などにおいて耐えがたい差別を受けてきました。
徳島県の部落出身のAさんは、大阪で郵便局の職員と知り合い、結婚の約束をするにいたりました。しかし身元調査により部落出身であることを報告され、男性の母親をはじめとする家族から「血筋が悪い」などの猛反対にあったのです。彼女は、「私がいるといつまでたっても貴方は幸福になれません。どうかこの次女性を愛する時は、健康で家柄の良いお母さんに気に入ってもらえる人をお嫁さんにして下さい」との遺書を残して、1971年1月31日、大阪市住吉区内のアパートで自殺しました。21歳でした。こうしたつらい体験は、今でも後を絶っていません。

差別を禁じた法律がない

熊本県の部落出身のBさんは、婚約破棄という差別に対して、身元調査を実施した興信所を裁判に訴えました。しかし差別を禁じた法律がないもとで、結局は民事訴訟という形でしか訴えられず、全面勝訴したものの、その慰謝料は50万円でした(1973年)。
差別は法的には取り締まられていません。そのことに乗じて、こんなひどい事件を尻目に、「出版の自由」とでもいうのでしょうか、「部落地名総鑑」が堂々と商われていたのです。

条例では限界

「部落地名総鑑」事件は未解決です。情報の出所などはいまだに明らかになっていないばかりか、2006年には新たに「部落地名総鑑」のデータを収録したフロッピーディスク(FD)の存在が発覚しました。
大阪府は「部落地名総鑑」差別事件をきっかけに、1985年に「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」を制定し、その発行や提供を禁じました。こうした動きは他県にも波及していますが、条例のない地域においては、いまだになんらの法的規制がありません。
インターネット上でも、部落の所在地に関する情報がとびかったり、不動産会社による「土地差別調査」など、差別が野放しにされているといっても過言ではありません。

外国人市民への排除、排斥(外国人差別)

入店差別

1998年、ジャーナリストのブラジル人女性が浜松市内の宝石店に入店したところ、店主から「外国人の入店は固くおことわりします」と書かれた店内の張り紙を示されました。さらに、壁に張ってあった「出店荒らしにご用心!」と題した警察署作成の張り紙をはずし、目の前に突きだされ退去を求められるという事件がおこりました。
この女性は、そのような行為は人種差別であり名誉棄損だとして、宝石店主を相手に損害賠償を求めて裁判をおこしました。これに対して静岡地方裁判所は、宝石店主の行為は、「原告の人格的名誉を傷つけた不法行為」であったとして150万円の慰謝料の支払いを命じたのです。
裁判には勝ちました。しかし、日本には人種差別を規制した「差別禁止法」がないため、原告の女性は、国連の人種差別撤廃条約に加えて民法第709条の「他人の権利を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」などを法的根拠として争わなければなりませんでした。

入居差別

2005年、一人の韓国籍の弁護士が友人と一緒に大阪市内のマンションを賃借しようとしたところ、日本国籍ではないことを理由に家主が入居を拒否しました。この弁護士は損害賠償を求めて家主を相手に訴訟をおこしました。また「人種差別を禁止する条例の制定義務を怠っていた」ことによって精神的苦痛を与えられたことに対する慰謝料を求めて、大阪市を大阪地裁に提訴しました。在日韓国人であることを理由とした入居拒否は違法であるという判決は、すでに1993年に大阪地裁において出されています。しかし12年という歳月を経ても、なお外国人市民に対する入居差別が続いているという状況があり、これをただそうとした裁判でした。
2007年3月に家主とは損害賠償に関する和解が成立しました。しかし、大阪市に対する訴えは、2007年12月に、大阪地裁において請求を棄却されました。これに対して原告は控訴したのですが、2008年7月に控訴審でもこの請求は認められませんでした。ただし控訴審判決では、「条例の立法措置について大阪市において十分検討されるべきこと」という意見が示され、差別禁止の法的措置に関する一考がうながされました。

外国人と犯罪を結びつけるデマ

2011年3月11日に発生した東日本大震災後、「被災地で不安をあおるような根拠のないデマ情報がブログや交流サイト、ツイッター、メールなどインターネット上で流れている」と警察庁は4月になって発表しました。デマのなかには、「被災地でナイフを持った外国人窃盗団が暗躍」などと外国人に対する恐怖感をあおるような内容もあります。さらには、「阪神淡路大震災のとき、地震で、朝鮮人によるレイプ多発。みなさん、気をつけて」といった特定の民族や出身国をあげて事実無根の話を流布するといった悪質な「つぶやき」がたくさんツイッターで飛び交いました。
警察庁は悪質なデマの削除をサイト管理者に「依頼」しはじめましたが、削除されるのは一部にすぎません。日本国憲法は「表現の自由」を保障していますが、他者の名誉や尊厳を傷つけるようなデマや差別表現を容認しているわけではありません。こうした悪質な差別扇動が放置されつづけてよいのでしょうか。

根強く存在する直接・間接の女性差別(女性差別)

女性に対する賃金差別事件

「総合職」と「一般職」などとコースを分け、昇進・昇格・賃金などその後の処遇が大きく異なるコース雇用管理制度は違法として提訴したK社男女賃金差別事件について、2009年10月、最高裁決定により、原告敗訴の一審判決を取り消し、原告6人中4人に対する差別を認めた東京高裁の逆転判決が確定しました。
会社側は、総合職は「基幹的業務」、一般職は「補助的業務」と業務内容が異なる点を強調し、「職務や転勤範囲が違うコース別制度による賃金格差で、男女差別ではない」と主張していました。この主張を受けて、一審の東京地裁は、2003年11月、男女別コース採用・処遇や会社の賃金体系は、憲法第14条「法の下の平等」の趣旨に反するが、公序良俗に反する違法な女性差別であるとは言えないと判断していました。この判決が原告女性たちの比較対象の男性との具体的な職務評価の実践によりようやくくつがえったのです。

法廷で闘ってきた女性たち

働く女性たちは、過去50年間、数多くの裁判をおこし、判例を積み重ね、法律を制定・改正させ、職場での女性差別に挑んできました。ある賃金差別訴訟を闘った原告の女性は、「私たちが会社の中から外へ一歩を踏み出したのは、差別への素朴な怒りからでした」と語っています。厳しい差別の現実と、人間としての当たり前の要求を掲げた女性たちの裁判闘争は雇用における「女性差別」の存在を明らかにし、「差別禁止」の法規範を結実させようとする闘いの歴史でした。
しかし、巧妙な雇用形態をとった女性差別や慣行は今も根強く残っています。女性たちの闘いによって積み上げられてきた判例を活用し、「間接差別」や「同一価値労働・同一賃金の実現」も射程に入れた「差別禁止法」の制定が求められています。

公人による性差別発言が野放し

2002年12月、東京都知事の性差別発言に対して、非を認めない態度に終始した都知事を、公人としてなされた差別と暴力を助長する行為として、東京在住・在職の女性131人が提訴しました。名誉毀損、絶望と屈辱、差別と暴力の助長に対する失望と恐怖……。原告たちは、謝罪広告と損害賠償支払いを求めました。しかし、2005年2月の一審判決では、「原告ら個々人の名誉を毀損するものとは認められない」として損害賠償請求は棄却、その後も都知事の性差別発言は続きましたが、裁判所は最後まで原告の被害を認めませんでした。

女性差別を禁止する法律を

日本には差別発言や言葉の暴力を裁く法律がなく、公の場で差別的な発言や言動をした政治家が失職することもありません。世界では、こうした日本の状況が驚きをもって受けとめられ、国連からも、公務員による女性に対する言葉の暴力を防止し処罰する措置を講じるよう求める勧告が出されています。
民法(婚外子差別、結婚年齢や再婚禁止期間の差別)や刑法(堕胎罪)など、女性を差別する法律はいまだ改正されず、強かんなどの性暴力被害は後を絶ちません。こうした現状を変えるためには、女性差別を禁止し、加害者を罰し、被害者を救済する法律が必要です。

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