活動報告・ニュース

「ハンセン病問題講演会」報告

2013年05月11日

2月16日(土)、大阪市内の区民センターで、「ハンセン病回復者と家族・遺族ハンセン病問題の核心に迫る~ハンセン病回復者と家族はどんな思いを抱いて生きてきたのか~」と題した第9回ハンセン病問題講演会が開催されました。参加者は427人。

今回のシンポジウムのテーマは、「家族」と「遺族」。これまで家族や遺族の受けた被害実態については、なかなか語られることがありませんでした。

講演会のシンポジウムでは、ハンセン病回復者の家族が経験や思いを語られました。報告します。

Aさんが1歳のとき、家族が岡山県の長島愛生園に強制隔離されました。Aさんは、岡山市内の育児院に預けられるなど、家族がバラバラになりました。そして、8年後、家族が退所し一緒に暮らしはじめました。小学校4年生の時、母親に病気のことを聞きました。母親が声を潜めて「らい病」と伝えました。子どもながらに、そのことは他人に言ってはいけないことだと印象を受けたといいいます。それから、自分の親がハンセン病であることを一切言わなかった、言えませんでした。

Aさんは在日コリアン。中・高校と学校生活では通名で通っていましたが、ハンセン病については一切誰にも言えなかったと話します。そして、結婚相手にも言いませんでした。3年目のある晩、連れ合いから「何かおかしい。あんたの家族は何か隠している」といわれ、しぶしぶ答えたといいいます。しかし、連れ合いは、よく言ってくれたと受け止めてくれたといいました。連れ合いと母親は、より仲良くなった。Aさんは、親がハンセン病だということは、勇気がいることであり、自分の弱さを見つめ直したと話します。

2003年にできたハンセン病の遺族・家族が集う「れんげ草の会」を知り参加します。Aさんは、ハンセン病回復者家族の体験談を聞く中で、自分が変わったと話しました。

Bさんは、姉と父がハンセン病を発症し、大島青松園に強制隔離されました。兄に持ち込まれた縁談話が、「聞き合わせ」で破談。Bさんは、小学校の時の同級生から「おまえのおやじは島流しになった」という言葉。高校時代、交際相手から「あの家ではらいがあるので付き合ってはだめだといわれた」と聞かされました。それ以降、生活の中で差別や偏見、言葉の暴力への恐怖を払拭できませんでした。

4年前、療養所で長年暮らす姉から、社会復帰したいという話がありました。社会の偏見や差別の厚い壁をBさんは実感し、姉の社会復帰に反対しました。支援者に騙されているのではと心配しました。しかし、姉が暮らす予定のマンションの近くに、支援者宅があり、支援者の温もりや距離の近さを実感し、これまでのわだかまりが溶けたと話します。そして近所の人と会話を交わす日常の様子は、姉が長年持っていた生活だったと話します。

シンポジウムでは、邑久光明園(岡山県)のソーシャルワーカー、入所者や社会生活を送っている退所者のライフヒストリーをまとめた研究者から、回復者と家族の距離や課題、思いなど報告がありました。

ハンセン病問題を市民一人ひとりが、それぞれ自分の問題として考える機会となったと思います。

れんげ草の会 -ハンセン病遺族・家族の会-

ホームページ http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/renge/index.HTM

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