研究会

報告「日本社会とヘイトクライム(憎悪犯罪)-京都朝鮮第一初級学校を巡る裁判を振り返って」(2011.12.5 金尚均さん)

2012年01月25日

2011年12月5日、龍谷大学法科大学院教授の金尚均さんをお招きして、「日本社会とヘイトクライム(憎悪犯罪)-京都朝鮮第一初級学校を巡る裁判を振り返って」と題した研究会を開催しました。

研究会では、裁判所で流されたDVDを見せていただきました。「在日特権を許さない市民の会」「主権回復を目指す会」などと書かれた旗や日本国旗を掲げ、京都朝鮮第一初級学校に向かって、子どもたちがその教室では勉強しているなか、拡声器を用いるなどして、怒声を張り上げているものでした。46分間、学校校門前において、侮辱的な言辞を大音量で怒号する行為でした。

警察は、「事件が起きたら呼んでくれ」との対応。学校関係者が抵抗すれば逮捕されるという無法状態に置かれていました。

金さんは、「差別を受け入れてしまう」「おそれ」「自己認識からのあきらめ」による「沈黙効果」を指摘しました。刑事告訴に対する反対も母親たちから起きたそうです。「そっとしておいてほしい」「またいじめられる」。「沈黙効果」です。

告訴することで日本社会をよくすると警察を説得しましたが、13時間受理しませんでした。総連と在特会のけんかにしたかった警察。逮捕の前には8人の検察官が現場検証にきましたが、これは死刑程度の事件の扱われ方だそうです。公安的な色彩が強いものでした。

本件では、「威力業務妨害罪(刑234条)」と「侮辱罪(刑231条)」が論点となりました。4人の被告人のうち、3人が確定し、1人が控訴のち棄却。本裁判は、最高裁へといくことになりました。

本件の意義について、金さんは、「社会的意義」と「法的意義」から説明をしました。

「社会的意義」は、①朝鮮学校生ならびに朝鮮学校に対する「嫌がらせ」行為が犯罪であることが、日本の裁判所においてはじめて判決において示されたこと。これまでの朝鮮学校に通う女性学生に対する「嫌がらせ」行為がたびたび起きてきましたが、誰も刑事告訴されることはありませんでしたので、今回、戦後初の有罪判決となります。②他の朝鮮学校に対する「嫌がらせ」の抑止、そして、③排外的思想をもった団体に対する一定の抑止、です。

「法的意義」は、①「表現の自由」の限界づけ、②正当な政治的表現とその限度(名誉を毀損する言辞による政治的表現は、表現の自由の範囲を逸脱している)、③名誉毀損罪ではなく、ヘイトスピーチとの関係性、です。

名誉毀損罪と侮辱罪の相違についても詳細に解説をされました。侮辱罪は日本で一番軽い罪で、科料か拘留。両者の違いは、「事実を摘示」したかどうかにあることになります。侮辱罪は評価のみです。たとえば、「スパイの子どもやないか」という表現が朝鮮学校に通う子どもたちに対する評価にすぎないのか、それら発言が真実であるか否かは別として、事実とした場合、その立証の問題が出てきます。事実かどうかを証明したくない、ということになれば侮辱罪になります。

また、本件をめぐっては、差別発言がまとめて一つとされ、言葉のもつ意味が無視された、と金さんは指摘します。

さらに、これら発言が誰に向けられた表現か、という問題です。本件で」は、法人(京都朝鮮学園)と第一初級学校です。集団に向けられているものですが、集団では罰することができず、個人に向けられなければならない、憲法学者は、これによって表現の自由が守られている、というそうです。これを突破するためにはヘイトクライム法、ヘイトスピーチ法が必要になります。

金さんは問いかけます。このような言論を処罰すべきか、またすることができるか。名誉毀損罪で処罰すべきか。侮辱罪で処罰すべきか。新たな立法を提案すべきか。それとも規制すべきではないのか。なぜ、ヘイトスピーチを論じる必要性があるか。

ドイツの「民衆扇動罪」は、人びとの「属性」に向けられるヘイトスピーチはより重たい刑が科せられます。人間の尊厳を侵害するからです。個人の名誉とは異なり、社会参加の機会や社会平等性を害し損します。世の中を不穏にしたということだけでなく、個人を超えて、社会参加の機会や社会平等性を害し損する。これがヘイトスピーチです。激情することのみがレイシズムではなく、簡単に差別する人の奥にあるレイシズムを問題にする、差別に基づく犯罪行為に対する量刑を重くする、それがヘイトクライムです。

一方、アメリカでは、80年代、ヘイトスピーチ法への違憲判決が出されました。日本の憲法学者が「表現の自由」としてこれにのりました。表現する内容にかかわってはいけない、差別禁止法は危険だ、という論です。十字架を焼くというような表現内容に対して、歴史的・差別的な意味内容に関して、国が評価してはいけない、とされました。

「ユダヤ人は出ていけ」「外国人は出ていけ」「トルコ人は出ていけ」「外国人は出ていけ、勝利万歳」とネオナチ集団が表現すること。「ユダヤ人のところでは買うな」と表現すること。ドイツでは規制されていますが、日本では自由とされます。

日本の名誉毀損罪・侮辱罪(日本の刑法230条・231条)の定義は、不特定または多数の人々に向けて特定の「個人的」名誉に対して攻撃を加え、社会的評価を低下させる、としています。

ヘイトクライム・民衆扇動罪の定義は、デモや集会などで、ある「属性」を有する人びとまたはある「集団」に属する人びとに対して侮辱的表現をする(インターネット上での書き込みも含む)、としています。個人ではなく、属性・民族に向けられた行為の社会侵害性を明確にすべき性格のものです。従来、名誉毀損罪は、個人的名誉を毀損する表現に対して表現の自由との調整機能を有すると解されてきました。これに対して、ヘイトクライムでは、人種差別的発言等が、歴史に基づいた多様性のある社会の基盤を危うくするという意味で社会的平穏に対する罪と解されていますが、しかしその実体は、同じ人間に対して不当な蔑みをすることでその集団に属する(個々の)人びとの社会的平等性を毀損することにあります。属性・民族に対して侮辱表現をすることを制限するのは、差別することで人間の尊厳を毀損すると同時に、社会的平等関係(の構築)を阻害し、社会参加する機会を阻害するからです。名誉毀損や侮辱は個人的法益を侵害するものですが、ヘイトスピーチは、社会的法益を侵害するものととらえてみる必要があるのではないか、と述べられました。

現在、98名の弁護人がボランティアで裁判を闘っています。民族教育を実施する権利、そして、表現の自由の限界、名誉毀損・侮辱でカバーできない部分に対するヘイトスピーチに対する闘いです。しかしこの間も、表現の自由として、Youtubeでは流され続けています。

ヘイトスピーチは、社会的マイノリティが訴えた時に罰せられることを阻止するために、マジョリティからマイノリティに向けられる場合にのみ限定することも必要です。社会参加の機会が阻害されるということを立法の法益として盛り込むべきだと金さんは主張します。

9.11以降、市民と敵を分ける差別のとらえ方がされ、この敵を排除することは差別ではない、といった風潮があるなかでも、属性・民族に向けられるヘイトクライム・ヘイトスピーチの規制が重要だと強調していました。

金さんは、2ヶ月に1度、「ヘイトクライム研究会」を開催されていますので、差別禁止法研究会とも連携をしていきたいと思っています。

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